教えてほしい債務整理
元気になればなったで心配の種が絶えないのが親というものだ。
保育園に通っていたころ、夏になると水浴びの時間がある。
裸になれば腹部に十字に走る傷跡が見えてしまう。
子供がいやがるのではと親は案じていたのだが、まったくの杞憂であった。
他の園児と比べると細くて小柄であったが、小学生になってぐんぐん成長した。
中学では、クラスを見渡しても背丈は高い方に入っていた。
教科のなかで、体育はいつもいい点数がつけられるのを母はふと不思議なものを見るように思ったものである。
第二例目の症例ということで、移植前後、報道の量も多かった。
当時の新聞をすべてCは保存している。
手供が大きくなったとき、いつか見せてやりたいと思ってである。
これまで、面と向かって移植に至る経緯を話したことはないが、なにかの折り、寛彬から「お母さん、感謝しとるんよ」という言葉を耳にしたことがある。
それだけでもう十分、と母は思ったものだった。
これからどのように成長していってほしいですか、と私は母親に訊いた。
いとか、そんなことは露思いません。
ただ、こんなことがあったからでしょうか、やはり他人の痛みをわかる人であってほしいとそれだけは思いますよね」ひがむとか、他人をうらやむ気持とか、それがよくないとわかっていてもありましたよね。
たまたまチャンスがやってきて、それを潜り抜けて、随分と変わりました。
いろんなことに対して、それも特別なことに対してではなくて、一日一日が平凡に過ぎていくこと自体に感謝するようになったといいますか。
路傍に咲いている小さな草花を見て、ああ一生懸命生きてるんだなあと思うような気持といいましょうか……。
その意味で、試練が自分自身を豊かにしてくれたのではないでしょうか。
それもこれも、結果が良かったからそう思えるのでしょうが……」-先頃、私はEさんの自宅に電話をした。
再訪の日からさらに二年がたっている。
寛彬君は中学三年になっているはずである。
その後の様子を知りたく思ってである。
以前と同じように、Cさんの明るい声が聞かれた。
より大きなってしまって。
今年の春で中学も卒業ですが、去年は野球部のキャプテンをつとめたりして、もう野球ばっかり。
チームは県大会で三位までいって町のニュースにもなりましてね、移植のことはほとんど忘れてしまっているような有様なんです……」このおりの電話では、FK506をもう飲んでいないということであった。
もちろんこれはK大からの指示によってである。
術後、年月を経て、経過が順調な患者たちがいる。
さらにそのなかで、いろんな条件を勘案して免疫抑制剤の投与が中断されている患者がいる。
それでも拒絶の徴候がない。
免疫的寛容、あるいはそれに近い状態が生まれていることを意味する。
移植された臓器が体内でもはや異物として認識されず、攻撃を受けない。
臓器移植にとっての理想の状態である。
トレランスは特定の移植患者で生まれることが知られているが、なぜそうなるのか、人為的にそれをつくりだすことができるのかということについては、免疫現象の最深部に潜む謎としていまもあり続けている。
手術から数えれば十二年目の春。
非常に良いコースをたどった子と母の日である。
圀岑岑他川淋週二回、水、金が生体肝移植の手術日に割り当てられている。
その日、一九九八年一月二十八日は水曜日であった。
朝八時、北病棟八階のセミナー室に、手術にかかわるスタッフ、研修生などを含め三十数人が顔を揃えていた。
スライドを使うため、部屋は薄暗い。
臓器提供者、臓器受容者の医学データを記したB4の用紙が配られている。
冒頭「Q器乱台」と記されている。
生体肝移植がスタートして三百四十八例目ということである。
この数字だけで、生体肝移植がもう日常の手術となっていることが改めて伝わってくる。
レシピエントは五歳の男児。
疾患は胆道閉鎖症。
FK病院で二度葛西式手術を受けている。
ドナーは三十歳の母親。
C大学から依頼のあった患者である。
用紙には、それぞれの既往病歴から各種の検査データが記されている。
演壇に立った若い外科医が、スライドを交えつつ、肝臓に流人する脈管の細かい位置を説明していく。
データの記述も質疑応答もすべて英語である。
海外からの見学者が絶えず、自然とそうなっていったという。
この日も、カナダ、スイス、ドイツからやってきた外科医たち数人がセミナー室の一角に座っていた。
生体肝移植の外科チームの構成は、第二外科と小児外科の選抜チームであった初期のころから大きく変わっている。
プロジェクトがはじまって五年目の一九九五年十二月、移植外科(移植免疫医学講座)が新設され、さらに九九年四月、病院内組織として臓器移植医療部が発足した。
ヘッドは教授兼部長のT、移植外科の助教授がI(のち小児外科教授)。
講師・助手が、U(のち移植医療部助教授を経て第一外科教授)、G(のち移植外科助教授)、W(のちアメリカ在)、B(のち倉敷C病院を経て熊本大学医学部小児外科助教授)、D(のち移植医療部助教授)、N(のち消化器外科講師)らで、彼らが当時の中心スタッフであった。
移植医療にたずさわるのは外科だけではない。
診断には消化器内科、画像判断には放射線科、拒絶反応を調べる肝生検では病理部、血中濃度を計り薬の量を決めるに際しては薬剤部のスタッフがかかわる。
さらに、ICU、文字通りの総合医療である。
手術室は新しく建った中央診療施設棟四階にあって、一番から十番までの手術室がコの字型に並んでいる。
生体肝移植は、ドナー手術が九番、レシピエントへの植え込みが一番奥の十番と決まっている。
Tが手術場の前で手洗いをけじめだのは、九時半である。
指先から肘まで黄色い消毒液イソジンで入念に手洗いをし、看護婦に手術用のゴム手袋を二重にはめてもらう。
Tの両手は、ひどいあかぎれになったように赤らんでいる。
定例手術が週に二日、劇症肝炎などの緊急手術あるいは他大学へ助っ人に呼ばれることがあればプラス一日か二日。
これまで、学内で六例、他大学で四例、計十例の移植手術を行なった週がある。
“あかぎれ”は、ゴム手袋をはめるせいだ。
いったんはめると、数時間、場合によっては十時間、二十時間と手袋を脱げない。
皮膚呼吸のできない両手は慢性疾患の様相を呈している。
ガウン状のライトブルーの手術着をまとったTは、モスグリーン色の壁に囲まれた九番手術室に入った。
頭はすっぽり髪を覆う手術用の帽子、額にはヘッドランプ式のルーペ。
足もとはオレンジ色のゴムスリッパである。
頭上の無影灯の明りが手術台に横たわる患者の腹部を照らし出している。
頭部に麻酔医、足もとのテーブルに各種手術器具と「機械出し」の看護婦が二人、患者の左側面に「前立ち」と第二助手、右側面に術者のTが立ち、横に第三、第四助手。
露出した肝臓に電気メスを当てる。
肉の焦げる匂い。
切るというより組織をはじきつつ、じりっじりっと分け入っていく。
内部に入ると、キューサーで軟組織を吸引し、潜む血管を浮き上げ、結紫する。
あるいはハイポ上フに持ち代え、凝固止血しつつ、メスは奥へ奥へと進んでいく。
出血は驚くほど少ない。
Tは柔和なオジサンという風貌の外科医である。
ルーペ越しに患部を見詰める眼光は鋭いが、前立ちや看護婦へ指示する口調はごく穏やかである。
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